【海外版】アクリル絵の具の有名作品と巨匠アーティスト4人を紹介!

こんにちは!AyakaのアクリルArt Bookへようこそ!

『フキちゃんのFlower bouquet』 金松 彩夏 (アクリル絵の具)

こんにちは!アクリル画家の金松彩夏です。
演劇をこよなく愛し、15年間舞台役者として生きてきました!
舞台から離れた今は、
アクリル絵の具に自分の想いを乗せて絵を描いています。

今回は、海外のアクリル絵の具の巨匠たちを
紹介していきたいと思います。

偉大な作家たちがどんな環境で、
どんな想いを絵に乗せて描いているのかを知ることは
とても大事なことです。

その作家の想いに寄り添いながら作品に触れることで、
また違った一面が見えてくるからです。

AYAKA

アクリル絵の具の巨匠たちが
どんな想いを乗せて絵を描いているのか、一緒に見ていきましょう!
きっと勉強になるハズ!

アクリル絵の具を使った有名作家:アンディー・ウォーホルの作品

まずは、スープ缶も、マリリン・モンローも、バナナも
皆さん見た事がありますよね!
色んな人に影響を与えた
アンディ・ウォーホルから見て参りましょう!

アンディー・ウォーホルの生い立ち

アンディ・ウォーホル(1928~1987年)は、
アメリカ・ペンシルベニア州生まれの画家、版画家。
カーネギー工科大学(現:カーネギーメロン大学)で広告芸術を学びました。

“アメリカの大量消費”の象徴を、
シルクスクリーンを用いて大量に印刷する事で、
これまでのアートの価値観を違う角度から表現した事で知られている画家
です。

ショッキングなプロセスも盛り込みますと、
ウォーホルは40歳の時に一緒に仕事をしていた
ラディカル・フェミニズム団体「全男性抹殺団」の一員
ヴァレリー・ソラナスに銃殺されます。

重体となりますが一命をとりとめたウォーホルは
芸術の神に守られていたとしか思えません!

その後、58歳の時に心臓発作で亡くなります。

アンディー・ウォーホルの作風、技法

ウォーホルは大量に生産できる『シルクスクリーン』の技法を用いて、
日用品や、アメリカンスター、ドル記号など、
アメリカ社会で消費対象として存在しているものを
『軽薄なシンボル』として作品に仕上げていきました。

初期の頃はアクリル絵具などでキャンバスに絵を描いていましたが、
1960年代以降は
『バットマン』『ディック・トレイシー』『スーパーマン』などの
コミックをモチーフにした作品を制作し、
1961年には
かの有名な『キャンベル・スープ缶』や『ドル紙幣』
をモチーフにした作品を制作。
翌年1962年からは
それらを版画のシルクスクリーン・プリントを使って
大量生産し始めました。

アンディー・ウォーホルが作品に込めたメッセージ

バナナやスープ缶などを用いて、
アメリカの社会を明るい、色彩豊かなポップアート
として表現している一方で、
『アメリカの資本主義』
『アメリカの大衆文化』が生み出している
非人間性無意味な大量消費陳腐さ空虚さも表現しています。

ウォーホルは自身について聞かれた際に、
「僕を知りたければ作品の表面だけを見てください。
裏側には何もありません」
と、答えたと言います。
芸術家なら誰しもが表現しようとする内面を、敢えて排除し、
常に表面的であろうと徹底的に努めた画家
だったんですね。

AYAKA

この作品は、マリリン•モンローが亡くなった際に
ウォーホルが作った作品。
何度も繰り返しコピーをする事で、
有名人を気にし過ぎているマスコミのまねをしてみせたそう。
白と黒は、生と死を表現しているらしいよ!

AYAKA

ドルの記号を描いた作品で、
何万ドルも何十万ドルもの本物のお金を稼いだウォーホルって
凄く面白い芸術家だよね!

アクリル絵の具を使った有名作家:デイヴィット・ホックニーの作品

日本でも近年、『デイヴィッド・ホックニー展』という
大きな展示会が開催されました!
現代アートの代表と言っても過言ではありません!
デイヴィッド・ホックニーです。

デイヴィット・ホックニーの生い立ち

デイヴィッド・ホックニー(1937年7月9日 〜)は、
イギリスのブラッドフォード 生まれの画家、芸術家。

ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで芸術を学び、
1960年代よりポップアート運動にも参加。

1963年にニューヨークを訪れ、そこでアンディ・ウォーホルに出会っています。

その後、当時はまだ比較的新しかった画材、アクリル絵の具を使用し、
プールを描いた作品を多数制作。
「ジョン・ムーアズ・リヴァプール」展で絵画賞を受賞。

一躍有名になり、
イギリスの20世紀の現代芸術を代表する1人となりました。

デイヴィット・ホックニーの作風、技法

左『スプリンクラー』(1967年) 右『ビバリーヒルズでシャワーを浴びる男』(1964年)

ホックニーはアメリカで抽象画が流行る最中でも、
一貫して具像画を制作した画家で、
とくに、プールを題材にした作品が有名です。

ホックニーの作品は、
陽光に満ちた明るいタッチの作風が特徴で、
《ビバリーヒルズでシャワーを浴びる男》(1964)や
《大きな水しぶき》(1967)など、
日常を切り取った私的な場面を多く描いています。

また、ホックニーがプールや海の『水』にとても描き甲斐を感じていたのは、
『水』が近くにあると『光』がより特別なものになり、
はっきりとした、鮮やかなものになるから
だと言っています。

『大きな水しぶき』(1967)
AYAKA

私も東京で開催された『デイヴィッド・ホックニー展』は見に行きました!
ホックニーが水と空に使う青色はとても鮮やかで、見ているこちらの気持ちも晴れやかになっていきます!

デイヴィット・ホックニーが作品に込めたメッセージ

彼の口癖は
「今に生きる私は、今を描く」
だそうです。

まさに今を生きる現代アーティスト。
ありとあらゆる手法を使って作品を創作してきていますが、
近年はタブレット端末で制作した作品が多いです。

またホックニーは写真のコラージュ作品も多く生み出しています。
同じ場所で1週間も掛けて撮った、
850枚もの写真を一枚の絵にした作品では、
『人間は一つの視点からものをみているわけではない』
というメッセージを伝えています。

AYAKA

自らの視野と可能性をどこまでも広げ、
様々な技法に挑戦し、
様々な作家に関心があるホックニー。
世界でもっとも人気のある現代芸術家の一人であるのも
納得です!

アクリル絵の具を使った有名作家:キース・ヘリングの作品

UNIQLOとのコラボなど、
日本でもよく目にすることが多いですね!
エネルギッシュな線でコミカルな人間を描く
キース・へリングです!

キース・へリングの生い立ち

キース・ヘリング(1958年5月4日 – 1990年2月16日)は、
アメリカ合衆国、ペンシルベニア州生まれの画家。

ニューヨークの
スクール・オブ・ビジュアル・アーツで絵を学びました。

1980年初め頃、
ニューヨークの地下鉄構内の、広告が貼られていない掲示板に
黒い紙を貼り、そこにチョークで絵を描く
『サブウェイ•ドローイング』を始めました。
その、コミカルで誰もが楽しめる生き生きとした落書きが
通勤客達の目を惹き
、ヘリングは一躍有名になりました。
(ちなみに迷惑行為とみなされ、逮捕はされている…。)

1990年、へリングは31歳という若さで、エイズによる合併症のため亡くなりました。

キース・ヘリングの作風

ヘリングの絵のタッチは、
漫画家だった父親からの影響が大きくあります。

国や時代を超え、
誰が見てもすぐに理解出来る絵を描きたい
と思っていたヘリングは、
シンプルな線を使い、そして生き生きとした人間などを描きました

また、へリングもアンディ・ウォーホルと親交がありました。
へリングは、
ウォーホルとミッキーマウスのイメージを重ね合わせた
『アンディ・マウス』を作成。
アンディとの出逢いは、へリングの成功の大きな鍵となりました。

『アンディ・マウス』(キース・へリング)
AYAKA

大きなエネルギーとの出逢いは大きな影響を与え、
そして世界を広げる鍵となるんだよね!
素敵な化学反応がここにもあったんだなぁ。

キース・ヘリングが作品に込めたメッセージ

社会貢献活動も多くしていたヘリングは、
子供たちとのワークショップを開催したり、
AIDS撲滅活動やLGBTQ+コミュニティの権利獲得に向けた取り組みに
積極的に参加したりしていました。

ヘリング自身がゲイであったことや、
エイズに感染していたこともあり、
彼の作品にはそういったメッセージも多く含まれています。
そして、彼のコミカルで生き生きとしたリズミカルな絵には、
『世界中の様々な問題を解決するには、
生命力に溢れた人間が必要である』

というメッセージが込められています。

アクリル絵の具を使った有名作家:ジャクソン・ポロックの作品

アルコール依存症に苦しみながらも、
『アクション・ペインティング』という技法を作り出した
アメリカの抽象画家。
ジャクソン・ポロック。

ジャクソン・ポロックの生い立ち

ジャクソン・ポロック(1912年1月28日‐1956年8月11日)は、
アメリカ西部のワイオミング州生まれの抽象表現主義を代表する画家です。

幼少期から芸術に精通していた母親の影響を受けながら育ち、
後にニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで
芸術を学びます。

1936年に、憧れていたメキシコの壁画家
デビット・アルファロ・シケイロスのワークショップを受け、
そこで見た、液体塗料が飛び散る様子や、
大きなキャンバスにスプレーガンやエアブラシなどを使って
描いていく様子に影響を受けます。

後にジャクソン・ポロックはアルコール依存症と診断され、
苦しみながらも、新たな技法『アクション・ペインティング』
を生み出し、アメリカの美術界に大きな風を吹かせました。

44歳の時にポロックは飲酒運転の事故により亡くなりますが、
それまでに彼は、沢山の大きな作品を生み出しました。

ジャクソン・ポロックの作風、技法

『No.5,1948』(ジャクソン・ポロック)

1947年から、
ポロックは『ドリッピング』と呼ばれる技法を使って、
作品を制作し始めます。

これは、絵の具を缶から直接滴らせたり、
撒き散らしたりする技法
です。
他にも、
棒などに絵の具を付けて垂らして描く『スプラッシュ』や、
絵の具を流し込みながら線を描く『ポーリング』などの技法を使い、
大きなキャンバスに跨って、
感情の赴くままに四方八方から絵の具をぶちまけながら
作品を描きました。

ポロックが生み出した技法『アクション・ペインティング』
意識的に体の動きをコントロールしながら絵の具を垂らしているので、
出来上がった作品以上に、
それまでの過程や、創作行為を楽しむことが出来ます


また、ポロックの作品には『中心』や『上下』という方向性がありません
『オール・オーヴァー』の作品であることもポロックの特徴です。

ジャクソン・ポロックが作品に込めたメッセージ

『床の上の方が私はより落ち着くんだ。
絵に近づき、絵の一部になったようなきがする。
絵の周りを歩き回り、四方の側面から作業をし、
文字通り絵の中に身体を置くことが出来るからだ。』

アートには何かしら作家の思想が込められている作品が多いです。
しかしジャクソン・ポロックの作品はそれらとは違います。
そこに巨大なキャンバスがあり、
そこに大量の絵の具があり、
そこにジャクソン・ポロックという人間の身体がある


それらによって出来た芸術である。
それ以上でも以下でもない。
それが
ジャクソン・ポロックの込めたメッセージなんじゃないかと私は感じました。

まとめ

作家が作品に込めた意図やメッセージに触れることは
とても大切なことです。

私たちも創作する時に考えます。
『何を描こうかな?』
『どういう色にしようかな?』
『どこに描いていこうかな?』

しかし、自分自身の世界だけでは
どうしても限界があります。
だから、他の作品や思想に触れることは
とても大事な、必要な事なんだと思います。

『そんな発想があるんだ!』
『そんな技術があるんだ!』
『そんな感情があるんだ!』

みなさんが出逢う全ての発想や、技術や、感情が、
みなさんの絵の一部になっていきます。

携帯を見ていてふと、気になる絵に出合ったら、
ぜひ調べてみてください。

きっと出逢う前より、
世界が二倍にも三倍にも大きく見えてきますよ♪

by AYAKAのアクリルArt Book

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ABOUT US
Ayaka Kanematsuアクリル画家
私は19歳から15年間、舞台役者として生きていました。 でも、上手く行きませんでした。 努力は人一倍しました。したつもりです。 自分の関わる作品の台本は50回以上は必ず読み込んで、作家の意図が汲めるまで読み、役作りに挑みました。 でも、目の前まで行っても泡の様に消えてしまう。 私には舞台の仕事は向いてないのだと悟りました。 それでも、私は表現する事をやめたく無い。 役者で無くても、表現することは出来る。 表現は、表現者の思想を形にする事だから、形は違えど、私がやりたい事はきっと表現出来る。 舞台の世界は離れても、私は表現者として生きていく。 そんな想いで、今はアクリル絵の具で絵を描いています。 表現をしていきたいと、心を震えさせている全ての方の支えになれますように、私なりの配信をしていこうと思います。 経歴 高校卒業後、文学座附属演劇研究所に入所。 三年間の研究生を経て、文学座の劇団員になる。 その後、風間杜夫、堤真一、宮沢りえ、小池栄子など、沢山の役者と共演経験を積む。 劇団を退社し、フリーになる事を決意。 がしかし、ここから前に進めなくなる。 母の影響で、絵本の世界に出会う。 そして、突然絵を描き始め、演劇と共通する部分に惹かれ、アクリル画家になり、今に至る。